サロメ 絵画のなかのサロメ
サロメの話は新約聖書マタイ伝福音書、マルコ伝福音書によるもの。
主な登場人物: 古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス
その后ヘロディア(元ヘロデの兄の后)
サロメ(ヘロディアの娘で、ヘロデの継娘)
ヨハネ(イエスに洗礼を施したあのヨハネ)

ルーカス・クラナハ <<サロメ>>
物語の舞台はヘロデの宮殿。
ヘロデが宴の席でサロメに舞を舞わせ、その褒美はなにがいいか、と尋ねる。
サロメは母、ヘロディアに、何を所望したらよいか相談した。
かねてから、ヨハネに「お前は(義理とはいえ弟と結婚したのだから)近親相姦者だと非難されたのを根に持っていたヘロディアは「ヨハネの首を申し付けなさい」という。
「洗礼者ヨハネの首を褒美にください」
サロメは義理の父ヘロデに頼む。
偉大な預言者、ヨハネを殺すことはヘロデの本意ではなかったが、約束した手前、結局ヘロデはヨハネの首を切り落とし、その首をお盆に載せてサロメに差し出す。
この主題はいろいろな画家に描かれてきたのだけど、りらりが好きなのを数点紹介。(ただしゴッツオリはなんとなく面白かったのでアップ)
ベネッツオ・ゴッツオリ 1462年 <<サロメ>>

ゴッツオリの描くサロメは当時のイタリアの風俗が描かれていて、場所も、衣装も15世紀イタリアの雰囲気が出ている。手前中央で舞っているサロメ→左の首を切られそうなヨハネ→奥で母にヨハネの首を差し出すサロメ、と物語が進行。

右はティツィアーノのサロメ。(後で更新するつもりだけど、)豊田市美術館で見たもの。
これには、この主題は「ユディト」であるという論争、このヨハネの首は画家の自画像であるという説がある(ともにパノフスキー)
いづれにせよ、赤色の布が暗い色調に映え、サロメの冷たい表情にもかかわらず、生き生きとした、この娘の若さと、美しさゆえに誘う官能性豊かな肌の感じややわらかそうな唇はさすが。このギャップに引き寄せられます。
上に載せたクラナハのサロメは、クラナハ独特のミステリアスな表情を浮かべて妖艶そのもの。お盆に載ったヨハネの首からにじみ出る血の表現と、肉の感じが生々しく、この美しい「妖婦」のようなサロメにいっそう怪しい魅力を与えている。
グスタフ・モロー <<ヘロデの前で踊るサロメ>>

サロメをだして、あげておかないといかない画家といえば、やっぱり世紀末画家、グスタフ・モローでしょう!!
装飾性のすばらしいさ、罪と富と美の結合の画家!!(といってみる)、でも、モロー美術館(仏)でみたとき、金糸でできたような線と筆の細かさ、細かさは思ったとおりだったけど、これらサロメシリーズは思ったよりキンキラとしていなかったかな。もっと豪奢な色彩を期待していた分。けれど「派手」ではないものの、しっかりと「金」をおもわせる光の輝き、硬質の光はしっかりあった。
全体が「銅」、あるいは「金」の色合いでまとまっている感じも、なんだかエキゾチック。ゴッツオリの「今の時代風」に対し、まったく別世界の幻想的なドラマを描くモロー。同じテーマなのにこうも違うのがまた面白い。
モロー <<出現>>

そして、この「出現」のサロメの衣装の豪華さ!「布」よりも「宝石」のみをまとっているかんじがよりいっそう「罪」を感じさせて、かつエロティック。なんだか画面から「シャラシャラ」と音が聞こえてきそう・・・
ちなみにモローは、この前書いたルオーのお師匠さんでもあります。
・・:・画風、違うよなぁ。
罪と美と官能性。そして画家が付け加えてきた装飾性。画家にとってはとっても魅力的なテーマ。「聖書」という形をとって、いかにサロメの官能性、装飾性、そしてドラマティックに仕上げるか。そして、「美しい妖婦」に対する魅惑。
見る側も、描く側もとりこにさせられる聖書の一節です。
主な登場人物: 古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス
その后ヘロディア(元ヘロデの兄の后)
サロメ(ヘロディアの娘で、ヘロデの継娘)
ヨハネ(イエスに洗礼を施したあのヨハネ)

ルーカス・クラナハ <<サロメ>>
物語の舞台はヘロデの宮殿。
ヘロデが宴の席でサロメに舞を舞わせ、その褒美はなにがいいか、と尋ねる。
サロメは母、ヘロディアに、何を所望したらよいか相談した。
かねてから、ヨハネに「お前は(義理とはいえ弟と結婚したのだから)近親相姦者だと非難されたのを根に持っていたヘロディアは「ヨハネの首を申し付けなさい」という。
「洗礼者ヨハネの首を褒美にください」
サロメは義理の父ヘロデに頼む。
偉大な預言者、ヨハネを殺すことはヘロデの本意ではなかったが、約束した手前、結局ヘロデはヨハネの首を切り落とし、その首をお盆に載せてサロメに差し出す。
この主題はいろいろな画家に描かれてきたのだけど、りらりが好きなのを数点紹介。(ただしゴッツオリはなんとなく面白かったのでアップ)
ベネッツオ・ゴッツオリ 1462年 <<サロメ>>

ゴッツオリの描くサロメは当時のイタリアの風俗が描かれていて、場所も、衣装も15世紀イタリアの雰囲気が出ている。手前中央で舞っているサロメ→左の首を切られそうなヨハネ→奥で母にヨハネの首を差し出すサロメ、と物語が進行。

右はティツィアーノのサロメ。(後で更新するつもりだけど、)豊田市美術館で見たもの。
これには、この主題は「ユディト」であるという論争、このヨハネの首は画家の自画像であるという説がある(ともにパノフスキー)
いづれにせよ、赤色の布が暗い色調に映え、サロメの冷たい表情にもかかわらず、生き生きとした、この娘の若さと、美しさゆえに誘う官能性豊かな肌の感じややわらかそうな唇はさすが。このギャップに引き寄せられます。
上に載せたクラナハのサロメは、クラナハ独特のミステリアスな表情を浮かべて妖艶そのもの。お盆に載ったヨハネの首からにじみ出る血の表現と、肉の感じが生々しく、この美しい「妖婦」のようなサロメにいっそう怪しい魅力を与えている。
グスタフ・モロー <<ヘロデの前で踊るサロメ>>

サロメをだして、あげておかないといかない画家といえば、やっぱり世紀末画家、グスタフ・モローでしょう!!
装飾性のすばらしいさ、罪と富と美の結合の画家!!(といってみる)、でも、モロー美術館(仏)でみたとき、金糸でできたような線と筆の細かさ、細かさは思ったとおりだったけど、これらサロメシリーズは思ったよりキンキラとしていなかったかな。もっと豪奢な色彩を期待していた分。けれど「派手」ではないものの、しっかりと「金」をおもわせる光の輝き、硬質の光はしっかりあった。
全体が「銅」、あるいは「金」の色合いでまとまっている感じも、なんだかエキゾチック。ゴッツオリの「今の時代風」に対し、まったく別世界の幻想的なドラマを描くモロー。同じテーマなのにこうも違うのがまた面白い。
モロー <<出現>>

そして、この「出現」のサロメの衣装の豪華さ!「布」よりも「宝石」のみをまとっているかんじがよりいっそう「罪」を感じさせて、かつエロティック。なんだか画面から「シャラシャラ」と音が聞こえてきそう・・・
ちなみにモローは、この前書いたルオーのお師匠さんでもあります。
・・:・画風、違うよなぁ。
罪と美と官能性。そして画家が付け加えてきた装飾性。画家にとってはとっても魅力的なテーマ。「聖書」という形をとって、いかにサロメの官能性、装飾性、そしてドラマティックに仕上げるか。そして、「美しい妖婦」に対する魅惑。
見る側も、描く側もとりこにさせられる聖書の一節です。
この記事へのコメント
うらやましいです・・・。
ところで、最近まで西洋美術館で催されていた「パルマ展」は行かれましたか?本当は行くつもりだったのですが、終了日程を記憶違いしていたために逃してしまいました・・・。
もし、行かれたなら感想を聞きたいです・・・。
はい。ティツィアーノのサロメは「ヴェネツィア絵画のきらめき」展です。
りらりさんとは、話がとても合うのでお話していて楽しいです!
「パルマ展」は私も8月末まで仕事忙しかったため結局出かけませんでした。
今回は感想書けずごめんなさい。
りらりさんと展覧会の感想を話したり展覧会情報の交換などしたいです!
個人的な感想、意見、その他いろいろなものに対する記事と、それに対するコメント、要望、という形でご了承くださいませ・・・。(すみません。。。)